◆地域の大工・工務店とともに住宅づくりを考える
アルセッド建築研究所の大倉です。当事務所の設立は1945年で,その頃は,住宅が年間200万戸建てられてました。私達も,建築家として住宅づくりにどういう役割を果たしていくべきかを考え,年間20戸位の住宅を一生懸命つくっても大して役に立たない,いいプレハブをつくることがまず肝要だろうと考えました。プレハブのレベルアップをすれば,住宅全体のレベルアップにつながると思ったのです。また,設計者が技術のことをよく知らないということも強く感じていて,技術の勉強も兼ねて,しばらくはプレハブについて,コンクリート,木造,ツーバイフォーなど,すべての種類の住宅の技術開発をやりました。そういう意味で,R&D(Research
and Development)を大事にしながら設計をしてきました。
その後,1987年に,林野庁がモデル木造建築物の整備事業を始め,私もその頃から,木造建築に取り組むようになりました。先ほど安藤先生がおっしゃったように,日本では,戦災の問題などから住宅の不燃化が重視されてきたために,大規模木造の技術はほとんどない状況でした。このままいくと,日本の大規模木造には全く可能性がなくなるのではないかと考えて,その片鱗が残っているいまこそ,木造住宅や木造施設に積極的に取り組むべきだと考え,今日まで15年位やってきました。
一方で,1980年すぎからは,地域の住宅づくりを進めてきました。地域の住宅づくりと木造建築というのは,基本的には無関係のようですが,私達にとってみれば,地域の人達を中心にして,いろんな施設をつくり,木材を活用しながら地域で発展していく産業をつくる――当研究所の所長は,「生業の生態系」と言っていますが――そういう活動を積極的にしてきました。
いろいろな活動をしていますが,特に,地域の材を使って,地域の大工さんや工務店が積極的に参加できる,また地域の生産組織をうまく取り込んで地域で回るような木造の施設づくりに取り組んでいます。具体的には,地域の大工さんや工務店を中心に,地域の住宅をどうしていこうかということをワークショップで一緒に考えながら進めてきました。その結果として,地域の大工さんや工務店,それから製材業の方々の地力の養成になり,地域の住宅が積極的につくられるようになることを目指しています。
本日は,事例をたくさん見ていただきたいと思います。いろいろなことをやればいろいろな結果が生まれる,積極的に取り組めばなんとかなる,可能性があるということを,事例を通じて理解して頂きたいと思います。
写真1は,学校の講堂です。日本では,こういった建築物が地域の人達の手でつくられてきました。大工さんや専門職の方が何人かはいますが,ほとんどは地元の人達が協力しながら,このような地域の施設づくりをしてきました。日本という国は,こういう木造施設を皆でつくっていけるのです。実際に地域に入ってみると,木造のことならばよく知ってるという人がたくさんいて,いろいろ知恵を出していただける,そういう土壌があります。私達は,こうした土壌の上に立って,木造の建築なり,木造の施設づくりを考えていくべきであり,これが原点の1つです。
◆木造技術の粋を集めた林業機械化センター
写真2は,群馬県の赤城山の北山麓にある林業機械化センターの展示棟です。1995年に阪神大震災があった時,高耐震・高耐久・高性能のモデル木造で,国産材の振興になるような施設をつくってくれと林野庁の方から言われて建築したものです。いろいろなチャレンジをしたのですが,この展示棟はその集大成になった施設です。幅6m,高さ9m,奥行き42mのアトリウムを中心にして,両側に小さい展示室があります。展示するものが大きな機械ですから,室内的な環境をつくってもしょうがない。林,木立ちの中に機械があるようにしたらということで,こういう展示室にしました。木造建築の分野でも,デザインなどの面で,レベルの高いものを積極的につくっていくことが必要です。
一方,雨で洗われて色褪せるといった木の弱点をちゃんと守り補強する所作,木造建築の所作もきちんとやっておかないと,結果として木造建築はよくない,木造は使えないことになってしまいます。今,公共建築の営繕部門の人達のほとんどは,木のことをご存じありませんので,木造施設をつくろうとすると,値段が高いとか,メンテナンスが大変だとか,居住性が悪いとか,そういう話になります。しかし,きちんとしたものをつくればそんなことはないということを,こういう木造建築物によって実際に見ていただけることが大切だと思います。
私共は,木造では金物を使わないことを,基本的なコンセプトにしています。そうすることで,木を長持ちさせることができるし,伝統的な技術も利用できるからです。集成材の建築物ですと,集成材工場が機械加工して,それを鉄骨の鳶職がつくることが多く,地域の大工さんは,最後の内装の仕上げだけちょこちょことお入りになるという実態がありました。これですと,一部の人達の木造建築になってしまいます。
この展示棟では,群馬のカラマツを使って,群馬の集成材工場に加工してもらいました。集成材工場とともに地域の大工さんにも参加してもらい,地域の大工さんが建て方をし,内装関係も地域の人がやる。こうしたことによって地域の材と技術と人(生産組織),そういう生業のつながりでこの施設ができあがっています。
写真3は展示棟のアトリウムです。ご覧のとおり,アトリウムは,基本的に2つの材だけの組み合わせになっています。ですから,母屋が交互に飛んでいます。それを横から見ると,交点にはさみ材を入れる――支点桁と言っていますが――,そういう桁を使って,金物を使わないで棟の剛性を出す工夫をしています。非常にスレンダーに見えるので,「この柱,耐久性がないじゃないか」という話もありました。このような話が出るほど,日本で初めてスレンダーな木造ができたと自信を持っています。最初は,柱の下の方を,木造の駅舎のように取り外しのきく木製のカバーをしようと思っていました。しかし,それではどうもスレンダーじゃないということで,柱は取り替えられるディテールになっています。先ほど言いましたように,基本的に2つの材の組み合わせにしかなっていません。大工さんにとってもそれほど特殊な技術は必要ではなく,精度よくきちっとやっていただければいいようにしています。
◆金物を使わずに組み上げるさまざまな工夫
写真4は柱頭です。離れ止めのボルトが1本見えますが,これはテンションボルトです。ボルトは木を傷めますから,剪断力が働くようには使いません。このボルトは外そうと思えば外せます。柱の下のボルトも同じように外せるので,柱の取り替えができます。取り替えできないものは,ヨロ板と言われている保護材で保護しますが,取り替えられるものは,あらわしになっていてもいいという考えです。
写真5は,棟の加工です。母屋がそれぞれ交互に別の方向からきています。横から見るとバッテンの両側に線形につなぐことで剛性をとっています。ここは比較的簡単な加工で。大工さんたちが加工して組み立てています。そこがポイントです。
先ほど申し上げたように,林業機械化センターは1995年に,高性能・高耐震の木造施設をつくる際に,せっかくの機会ですから金物を使わないでつくりました。ちなみに,モデル木造施設の整備事業が始まった1988年頃は,どうしても金物を使わないとできない,集成材工場もやってくれないという状況で,いたしかたなく金物を使いましたが,この施設位から金物を使わなくても剛性のある接合が可能になりました。
写真6を見ていただくとわかりますが,柱は2分割になっていて抜きが通っています。それに木栓を打ち込んで桁行き方向の剛性を出すことを初めてやりました。また,外壁を保護する意味で,上階をはね出す。庇を出す。それぞれで壁の保護を図りました。さらに,外壁はすべて通気構造にしてあり,サッシも木製の高気密なものを使っています。高断熱・高気密の木造施設というのは非常に気持ちが良く,快適です。現地は,冬場には気温が零下20度位になりますが,「この施設の中は非常に快適で,オイルファンヒーター1個を焚いているだけでも,次の日はほのかに暖かい」と,所長さんが感謝してくれました。
この施設は,上が寄宿舎棟,下が展示棟となっており,寄宿舎棟は40室で,西側は個室がずっと並んでいて,中央の通りに面してダイニングなどがあり,人の動きが見えるようにしています。町づくり的な要素を取り入れているわけです。また,木造施設だからと言って,すべて木を使わなくてもいいという考え方も取り入れています。日本の場合には,比較的細い材で床を組まなければコスト的に合わないということがありますが,24時間生活する集合住宅や寄宿舎では,音の問題や火災の問題,振動の問題などが生じます。林業機械化センターでもいろいろチャレンジしましたが,木造の場合には全体が軽いというので床の遮音がなかなかうまく対処できない。そこで,大断面集成材の梁の肩をかき込みまして,PC板を落とし込むなどの工夫をしました。
写真7は,林業機械化ンターの機械格納庫です。普通ですと,湾曲した集成材でつくってしまいますが,それでは木立の中にあるというロケーションにそぐいませんし,大きな材を持っていけるような道路事情でもありません。そこで,6m×150cm角の木材を嵌合(かんごう)させて,その間に支点桁を組み上げていきました。これも,基本的には,大工さんが加工して現地で組み上げました。「フレームの時が一番きれいなのだから,屋根をつけるな」という話が出たのですが,そういうわけにもいかないので,屋根を張りましたが,フレームは見えるようにしました(写真8)。機会があれば,見て頂きたいと思います。
◆地域の技術だけで高度な木造建築物ができる
写真9は,吉野杉の陸送集積地として知られる奈良県櫻井市にある保育園の遊戯室です。資金的な問題から,カナダのベイマツ集成材を用いましたが,金物を一切使わずに大スパンをかけ渡しています。柱に斜めの梁がかかり,それを陸梁でつなぐという工夫をしました。屋根の上に急勾配の屋根がかかっているものを大和屋根と称しますが,そういったものを力学的にもうまく活用して,明るくて換気や天窓等にも使えるものにしました。この施設も,両方向ラーメン加工です。ここでは,たまたま受け入れ側が宮大工さんだったので,かなりレベルの高い加工をしています。
写真10は,柱に斜め張りの穴をうがってるところです。右側を見ると,柱の斜め張りが貫構造,木栓になっていることがわかります。桁行き方向に120cm角の梁材が2本上下にありまして,その間に60mmの集成材を落とし込んで,15cmピッチで木栓を打つことで型梁形成し,両方向ラーメンができあがってます。精度の高い仕事が要求されますが,大工さんの技術でできることが確認できました。
写真11は,都城市にあります宮崎県の木材技術センターです。今後の木材加工技術を積極的に開発する目的でつくられた施設で,今回は宮崎県産のヒノキを使った非常に性能の高い木製建具をつくっています。このセンターをつくるにあたって,宮崎県からは,ともかくすべて宮崎のスギを使ってくれという要望がありました。また,工事をする人たちは地元のゼネコン,大工さんも地元の大工さん,関連の人達も基本的には地元の人達を使って下さいと言われました。
写真11の手前が管理棟,奥の中央にあるのが研究棟で,その回りに4つの実験棟があります。各棟ごとに別々の施工業者が引き受けましたので,全体では32社と,施工監理の段階でやりとりをしました。それでも,やっぱり地元の木造に関心のある人達ですから,自分達がやったことについての情報を全部出してくれました。オープンにやって,ここでこういう失敗をしたからやるなよとか,ここでこうすると安いから一緒に買おうとか,そういう共同のネットワーク,情報交換をしながら積極的にやってもらいました。
写真12は,管理棟です。道路に向かって開かれた施設にしたいということで,内側から見ると木製で補強されていますが,外側のシールを非常に軽く開放的な建物にしています。湾曲のボックスビーム(箱型梁)を中央にかけわたしています。両側には格子の耐震壁,これも基本的には金物を使わず,すべて木の加工と組み合わせだけでやっています。地域の大工さん達が最初から参加してやってくれました。非常に高度なものが地元の人達だけでできるということがわかっていただると思います。
写真13は研究棟で,立体トラス的になっています。これも金物を使わずに,大工さんたちの知恵と集成材工場の技術でつくりました。このような研究室は,研究体制によって,20人位の研究員が5班に分かれたり,3班に分かれたり,時間によってもいろいろ変わりますから,フリースペースにしておいて,さまざまな研究ニーズに対応できるようにしています。研究棟は,いわば研究者のたまり場ですから,まわりをすべてオープンにして外からも見られるし,逆に研究室内から施設全体を常に管理できるようにしています。
写真14は,木造の模型です。私共が木造建築を手がける時には必ず模型をつくって考えることにしています。そうすると,大工さん達と情報交換をしながら,よりよいものにすることが監理の段階でできます。そういうやりとりが非常に大事です。先ほど安藤先生が,「技術を生かす」とおっしゃいました。昔のままの技術をそのまま使うのではなくて,昔からやってきたこと,それから今大工さん達ができること,それらをうまく生かしながら仕事を増やす,それが結果として木造の使い勝手をよくしていくことになるだろうと思っています。
◆スギは使い方次第で十分な強度を出せる
写真15は,千葉県で建築中の地域の木造住宅をつくっている大工さん達を支援する施設です。林業構造改善事業で,千葉県の木材市場組合が木材普及の情報センターとして整備しているものです。大工さんも含めて木材に関係する人達が,消費者と情報交換をしながら,よりよい木造住宅づくりをしていく拠点施設になることを狙っています。
後ほどお話頂く金子さんが先鞭をつけられた「木POINT」を参考にさせていただいています。今も「木POINT」のように展示するにはどうしたらいいかなど,勉強しながらやってます。
材料は,すべて千葉県産のスギを使いました。千葉にスギがあるのかという感じをお持ちの方もいらっしゃると思います。千葉のスギは,強度はすごく弱い。でも,先ほどご紹介した林業機械化センターでも,スギを使いました。確かにスギは弱いのですが,幅をちょっと狭くして背を大きくするとか,加工の方法を考えるとか,木栓を細くしてたくさん打つとか,いろいろな工夫すればそれなりの強度で使えます。この施設では,壁もすべて千葉のスギを使っています。最初の施工段階から地元の大工さんに入ってもらって,集成材工場まで一緒に行ってもらっています。林業機械化センターと同じように,すべて金物を使わず,木と木を組んで剛性を出しています。例えば,腰屋根をうまく利用して剛性をとり,あまりうっとうしくならないようにしています。
写真16は,屋内の様子です。このような木造施設を,地域の人達が地域の材料を使ってつくることができる。このことをぜひ知って頂きたいし,こうした取り組みを公共施設づくりなどでも積極的に進めて頂きたいと思います。
◆地域住民主体で町づくりを進めた有田の事例
次に,佐賀県の有田町における地域住宅づくりについてお話させていただきます。有田焼で有名な有田町は,鍋島藩が陶器の技術を外に出さないという方針をとっていましたから,伝統的なもの,保存すべきものを大切にして残すという気風が非常に強い町です。写真17は,窯業大学校という後継者育成施設ですが,こういった施設が地域になじむようなかたちでつくりながら町づくりをどのように進めればよいのかを考えつつ,私共は町並みの整備に取り組んでいます。まず,地域の人達に有田町のスライドなどを見せて,いいところ,悪いところを理解してもらう。それを町づくりの1つのとっかかりにして,施設づくりに反映させて伝統産業都市における町並み整備をやっています。
有田町では,1984年頃からHOPE計画に基づいて,地域住宅づくりをやることになっていました。しかし,モデル的な住宅をポンとつくって,こういうものをつくりなさい,つくるといいですよということでは,地域の人達はすぐに対応できません。よそからものをもらうだけでは,自分のものにはならないのです。
たまたま有田町には,うちの事務所の者がおりましたので,月1回の勉強会をやりました。その勉強会で,設計者と工務店の人達とが,有田らしい家とはどういうものなのか,どういう住宅をつくると有田になじむのかという視点からいろいろなアイディアを持ち寄って,そのいいところ悪いところをバトルトークではないですが叩き合いながら,こういうことに気をつけましょうと決めていきました。写真18の左端にちょっと見えるように,プロパンを入れるものにカバーしましょうなんてこともその1例です。このように,まわりを見ながら自分の家づくりをすることにして,マニュアルも作成しました。
世の中の景気が上向きなときは,派手な建築物ができる傾向がありますが,設計者が施主を説得していけば,色を変えてくれたりします。有田町では改築するときに,そういうルールを守りながら,町並みが元に戻るようにしました。火災にあったり道路拡張で傷んだりした住宅を改修する時には,皆でつくった新しいルールに従ってやろうということで進めてきました。さらに,外観とか内観の要素として,こういうものを使うといいものができますよ,地域になじむものができますよと示すために,景観調査もやりました。このようなルールを守っていくと,町全体に波及効果が広がっていくことになります。
◆ワークショップで議論,情報発信も重要
写真19は,大分県で建てた木造の公営住宅です。設計の段階から大工さん達と協議を始めて,どういう材料を使って,どういう家のつくり方をすれば地域に合うかといった議論をして,毎年1棟ずつ計4棟建てました。大工さん達がそれぞれ分担して建築しました。この場合は大工の1人が模型をつくって,工法や材料について提案をして,それをもとに全体として地域住宅をこうやってつくっていこうということを,皆でワイワイ論議しながらやったところ,結果として非常にいい住宅になったと評価されました。
このように実際にやってきたことに関する情報を外に出していくことは,他の人達にも「やっぱりできるんだな」と思っていただけると同時に,まわりの人達から「見たよ」と言われてやりがいも増していくという,2つの側面から非常に大事だと感じています。特に,自分達のやってきたことに関する情報が広く伝えられることは,やりがいを増し,継続していく上で重要だと思います。
1998年に山口県の下関市で環境共生団地をつくったときには,環境共生と住民参加という狙いから,施主と生産者を入れた町並み・町づくり塾というのをやりました。向こう三軒両隣を含めた家づくりはどうあるべきか,どういうルールでやるか,あまり固いルールは必要ないけれど,お互いを気にしながらやるのが家づくりの基本だということで,模型をつくったり,CCDカメラで実際に家の内部を見たりして,自分達が何をすればよくなるかを理解して頂く取り組みをしました。
写真20は,福岡県の山田市で建てた公営住宅です。公営住宅の場合は,いままでご紹介してきた事例のような住民がいないんですね。それではまずいということで,まず外構のワークショップをして,家だけじゃなくて家を含むまわりの環境をどうつくっていくかをいろいろな人達と考えました。
1995年からは,富山県で地域の住宅づくりに取り組んでいます。1年目には現状の調査をやり,2年目には構造関係や結露の問題,工法などに関する先生達を招いて勉強会をやりました。3年目には共同設計をやり,構造のチェックをして,公社の住宅として実現しました。毎月1回ずつワークショップを開き,講師がまずしゃべって,皆が自由に毎回毎回のテーマに従っていろいろ論議して,それを共同設計に反映しました。こうした成果を住宅月間に発表して,テレビや新聞に取り上げられたりしています。
このような情報発信により,自分達が自信を持つと同時に,地域の人達にわかってもらえるような努力を重ねてきました。住宅建設の後には,自分達で建てた住宅を説明する,要するに専門家としての説明責任を果たす(アカウンタビリティーする)。自分達がこういう家をつくっているということを,実際の家を使って見所を整理し,それをどう伝えていくかというロールプレイの練習もやりました。「黙っていいものをつくればそれでいい」という工務店さんが多いのですが,それでは今の世の中では遅れてしまいます。自分のやりたいことをしっかりしゃべることで,自分達がつくっている地域の住宅を自信を持って売り込んでいける,そんな勉強会もやりました。
その結果,会員さんが「1年で20棟から20数棟,富山型の家がつくれました」と言えるようになりました。その原点になっているのは,ワークショップに設計アドバイザーとして入ってくれた「とやまの木で家を造る会」の会長の家です(写真21)。非常に地域性を生かした,自然となじみ,モダンで快適な,いわゆる地域型の住宅だと思います。ワークショップでは,こういういい家を実際に見に行ってもらうなど,いろいろな試みをやっています。
写真22は,同じように地域の伝統的な町並みがある島根県の石見町で,設計者が集まって勉強会をしているところです。具体的にどういう設計で石見流の住まいをつくっていけるのか,メーカーが入ったり,工務店さんも入ったりして,大手ハウスメーカーの住宅と比べても遜色のない地域住宅づくりを進めていく,その仕掛けをつくっているところです。
地域を中心にしていろんな木造施設,木造住宅がつくれることを見て頂きました。地域に数人,熱い思いのある人がいることと,情熱と知恵がすごく大事だと思います。そういう人を中心にしてやっていけば,さらにそのつながりでネットワークをうまく利用できて,いろいろな木を使った環境づくり,施設づくり,町づくりができると思います。極端なことを言いますと,やろうと思えば何でもできる。そう考えて頑張って頂きたいと思います。
●(株)アルセッド建築研究所の連絡先
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1−20−26−3F TEL03-3409-4532 FAX 03-3409-3394
|