人間の豊かさ追求は、資源・エネルギーを消費することで成り立っていた。建築物もその例外ではなく、多量の資源・エネルギーを消費してきたが、一方では長期間にわたって使用されることから廃棄されるまで資源をストックするという側面を有している。
とくに木材は多くの建築資材の中できわめて特異な位置にある。
第一に木材は建築資材中で製造エネルギーがきわめて小さい。すなわち地球温暖化に関係する二酸化炭素の放出が少ない。
第二は樹木が大気中の二酸化炭素を吸収し、太陽エネルギによって樹幹形成して炭素を固定していることである。
この伐採から焼却までの時間が長ければ(すなわち耐用年数が長い、あるいは使用後の解体材を再生資源としてリサイクルすれば)、森林の樹木に生長する時間を与えることになる。
一方、伐採された地に「伐ったら植える」という森林管理の基本、つまり正しい林業が行われていれば、新たな樹木で二酸化炭素を吸収し、炭素の固定が再開されることになる。木材を焼却する量が森林での成長量を上回らないならば、大気中の二酸化炭素は減少方向に向かうことになる。
最終段階で燃焼させるときもエネルギーは有効に使用できるはずである。他の建築資材は、使用すれば確実にその資源の枯渇があり、しかも生産過程でのエネルギー消費は化石燃料の燃焼、枯渇を伴う。このように、木材資源が真の再生可能資源で、極めてエコロジカルな資源であるといわれる所以はここにある。
すなわち、資源確保と環境保全からみたとき、化石資源、鉱物資源から木質資源、生物資源への移行は人類存亡に関わる課題である。このようにみたとき、スギを代表とする国産人工林の木材は「持続的な生産ができる」資源として重要であり、その山林は先祖からこれからの世代へ受け継ぎ得る最大の資産でもある。人工林はその適正利用があって推持される。
|
生物資源が他の資源と異なる点は更新、すなわち世代交代である。古いものを大切にすることと更新とは相反するようであるが、両者の共存こそ重要である。
循環資源であるためには若い層が多く存在することが重要である。若い層の減少は、我が国の若者の減少という人口の年令構成だけでなく、図2にみるように我が国の森林、木材とて同じである。国土の森林面積に制限がある以上、伐採更新しない限り、循環資源として機能しない。
伐採、すなわち木材利用は、保管される場所を都市に移動するという意味と、循環更新するという意味に置き代わるのである。決して無駄をしろということではない。
森林の更新がなされないあるいは困難な地域の森林保護問題と、国産人工造林木の伐採利用を同じように理解している人が少なくない。
そのためか、伐採をしないことを言い訳に木材を使わないことに正当性があるような主張がある。人工造林のように伐採されたところには再び森林が形成されるという世代交代や更新の重要性を訴える声のほうが遠慮がちという、奇妙なことが起こっている。
幸にしてエンドユーザーのなかで木材が嫌いという人はきわめて少ない。そして今や化学物質過敏症対策や居住空間として、自然素材は歓迎されている。身の周りで木材がつかえるところは実に多いのである。
|