森林資源と木材の多目的利用の視点「公庫月報 1999.07(農林漁業金融公庫)」

 

 

 

東京大学大学院農学生命科学研究科教授
有馬孝禮


1、循環型社会の形成にむけての森林と木材

 最近、循環型社会とかゼロエミッションという言葉がごく一般的に目につくようになってきた。

資源・エネルギーの消費と廃棄物問題が身近な課題として少しずつ意識され出したことによるのであろう。そもそも、循環型社会をどのように定義すべきなのか、そのイメージは必ずしも明確でなく、各様である。しかしながら、我々人類が資源を消費して生きている以上、資源の再生産が基本的な条件である。その再生産は木材を始めとする生物資源をおいて他には存在しない。

ところが、21世紀にむけて森林や木材がきわめて重要な位置にあると意識している人は必ずしも多くはない。いまだに林業や木材工業は森林伐採という行為を行うが故に、環境破壊の張本人としてみなされることも少なくない。

とくに経済、効率優先、多エネルギー消費型の材料や資源によって業をなしている者の中には、降りかかる環境問題から目をそらすために、生態系や自然環境保護を楯に木材資源を使わなければ良いという安直な代替を繰り広げている状況すらみられる。それは自由経済、弱肉強食の論理であったり、人間が生活するための資源問題や都市の消費形態には触れず、単に森林を伐採すべきでない、守るべきだという短絡的な展開である。

 それは一見明快であるが、人間の関与する環境保全問題を意識的に避けていることになる。そればかりか人類の生活基盤である資源を生産、更新する重要性、すなわち生物資源の再生産は、人々の努カによって可能であるということに目を背けているのである。

単純な話であるが、我々は生物(命あったもの)を食料としている。すなわち、再生産の可能な生物資源によって生きているのである。いうまでもなく、森林には生物多様性確保や水源涵養などの多くの機能と恵みをうるために「保護する森林」「持続的な資源生産を担う森林」がある。その保護、伐採、再生産が共存・共生しなければならない現実を曖味にしてはいけないのである。

森林が資源生産の活力を失えば循環型社会などありえない。また、森林が環境保全の機能を失っても循環型社会は成立しない。循環型社会の成否は、近年の化石資源に依存し、資源の枯渇に向かってきた豊さ追求の視点を、森林や木材のような再生産可能な生物資源との共存に向けることができるかにかかっている。将釆にわたる人間活動や人類の将来の生存の持続性を見据えて、森林や木材との連携が都市に問われている。

2、地域活性と地元資源
  外国から帰国して、成田空港から東京に向かうとき車窓から目に飛び込む風景は田畑と共存するスギの木立ちである。

年のせいか近年「日本の風景だなあ」とつくづく思うようになった。各地の神社や山に足を踏み入れれば、歴史を刻む巨大なスギが至るところにある。約10年ぶりに台湾大学の演習林を訪問した。天然林の保護と人工造林の育種、木材生産の調査研究を担っているが、自然公園として散策コース、教育施設のほか、宿泊施設、レストランなどもある。

年間の入場者は100万人を超える。10年前に比べ、道路、案内標識、宿泊施設、レストランがコンパクトに整備されたという印象をうけたが、圧巻のスギおよび台湾スギの木立ちは当時と変わらぬ雄姿を見せてくれた。スギは吉野スギが主であり、1930年に東京帝国大学付属演習林として開設された前後に造林されたものである。

台湾大学に移管されて50年、吉野スギはどっしりと地元資源として根をおろしている。入場した人々は自分のペースでただ歩くだけであるが、資源生産と環境保全、そして教育、観光資源としてのスギの人工造林木の姿は、我が国が豊かさ追求、国際化、効率化という動きの中で忘れてきた何かを教えてくれているように感じられるのである。

地球環境保全や持続的な発展の原点は「資源を守ること」と「資源を自ら作り出すこと」にあるはずであるが、「資源を自ら作り出し」それを利用するという、もっとも基本的なことが忘れ去られようとしている。

化石資源に支えられ、資源を消費して発達した都会には、資源を守ることがせいぜいで、「資源を自ら作り出すこと」を期待するのは無理なのかもしれない。だとしたら地域、田舎がその見本をみせるしかない。最近、街造りや木造建築物に地元資源である木材を利用して地域を活性化しようという話題は多い。

地域活性化のもう一つの視点は人作りであり、元気で知恵と技術を有した都会の退職者をも迎えいれることができるような仕組み作りが大切である。生き生きしたところで生産されたものでない限り、疲れた都市にとっても魅力はない。

今、生き生きとした資源の中で人間の努力で生産し、持続・更新していけるものは、命を有した生物資源しか見出せない。木材という地域資源の活力は単に販売ルートとして都市に頼ることではない。地球環境保全時代はそういう時代であるはずであり、それが益々はっさりしてきた。何よりも身の周りをみてみようということになるのであろう。

すなわち「資源・環境保全をめざした施策や街造りの原点は地元の木材資源を活かすこと」である。これらをべ一スにした地域活性化のためのプロジェクトは、グローバルな資源や省エネルギーに関する地球環境保全の合言葉でもある「Thinking globally,Acting locally」の具体的な地元密着型行動の一歩である。

現在、地元資源の木材を用いた建築物、いわゆる箱物に寄せる期待は大きいし、実現できることも多くなってきている。しかしながら、単なる箱物にとどまるのではなく、自らそれを受け入れ、運用しようという人々の努力が地域活性化の原点であることを忘れてはなるまい。その建築物、あるいは施設が次の活力・波及を産むものであるかどうかが問われている。

3、地域活性化で問われる協調性と波及効果の評価
  自由度の増した木造建築物では、構造用木材は従来の化粧用の製材品とは違う意味をもっている。

すなわち、木材が他の工業材料と比較されたとき、天然物であるがゆえにバラツキのある材料、信頼性が十分でないのではないかという問いに対して、構造材料としての素性を具体的に示す必要がある。それが強度等級区分である。

それは命を委ねる材料として素性の明らかでないものなど論外であるからである。「地元材を公共大規模木造建築物に」という声は地域活性化事業としてしばしば登場してきた。製材品、丸太あるいは集成材などの、構造材料としての強度等級区分とその量的な対応が重要課題になることが多い。

とくに、住宅への構造材料と大きく異なる点は、
@ある品質の材が大量に要求される
A 需要は不定期であり、しかも短期間での対応が要求される
−ことである。

 これに対応できないことが地元材の使用を断念する結果となったことも少なくない。国産針葉樹材の製材や集成材などへの利用が論議されるとき、必ず外国産針葉樹との価格差とその量的・質的まとまりとしての劣勢がいわれる。

しかしながら外国産材と比較したとき国産材の本来有利であろうとみられる特性は、林業、立木あるいは丸太が身近にあり連携がとりやすいこと、運搬および情報伝達距離が短いこと、地域単位にみた協力関係があるならば小ロットでも対応できることである。

したがって、単に自らの木材や木質部材の強度あるいはその強度区分の適正化だけでなく、新しい木造建築物の需要拡大という共通目的にむけて、生産、流通、利用における強度等級区分を有効に機能させることが重要である。

そもそも建築物や街はある大きさをもち、動けないものである。したがって永続的で再生可能な資材がそこにあるならば、本来建築は地域的なものである。したがって単なる1事業体あるいは1事業の採算や経費といった経済的な評価のみで論ずべきではなく、地域での技術の進展・波及さらに各々の利益を分け合う信頼関係が必要である。

この波及効果を常に明確にすることが地域活性化を論ずる基本原則であり、それこそ循環型社会、地球環境保全の原点である。このことは、近年の流れを冷静にみるならば容易に理解できよう。

4、環壌保全時代のよき居住環境形成のための木材
  人間の豊かさ追求は、資源・エネルギーを消費することで成り立っていた。建築物もその例外ではなく、多量の資源・エネルギーを消費してきたが、一方では長期間にわたって使用されることから廃棄されるまで資源をストックするという側面を有している。

とくに木材は多くの建築資材の中できわめて特異な位置にある。

第一に木材は建築資材中で製造エネルギーがきわめて小さい。すなわち地球温暖化に関係する二酸化炭素の放出が少ない
第二は樹木が大気中の二酸化炭素を吸収し、太陽エネルギによって樹幹形成して炭素を固定していることである。

この伐採から焼却までの時間が長ければ(すなわち耐用年数が長い、あるいは使用後の解体材を再生資源としてリサイクルすれば)、森林の樹木に生長する時間を与えることになる。

一方、伐採された地に「伐ったら植える」という森林管理の基本、つまり正しい林業が行われていれば、新たな樹木で二酸化炭素を吸収し、炭素の固定が再開されることになる。木材を焼却する量が森林での成長量を上回らないならば、大気中の二酸化炭素は減少方向に向かうことになる。

最終段階で燃焼させるときもエネルギーは有効に使用できるはずである。他の建築資材は、使用すれば確実にその資源の枯渇があり、しかも生産過程でのエネルギー消費は化石燃料の燃焼、枯渇を伴う。このように、木材資源が真の再生可能資源で、極めてエコロジカルな資源であるといわれる所以はここにある。

すなわち、資源確保と環境保全からみたとき、化石資源、鉱物資源から木質資源、生物資源への移行は人類存亡に関わる課題である。このようにみたとき、スギを代表とする国産人工林の木材は「持続的な生産ができる」資源として重要であり、その山林は先祖からこれからの世代へ受け継ぎ得る最大の資産でもある。人工林はその適正利用があって推持される。

生物資源が他の資源と異なる点は更新、すなわち世代交代である。古いものを大切にすることと更新とは相反するようであるが、両者の共存こそ重要である。

循環資源であるためには若い層が多く存在することが重要である。若い層の減少は、我が国の若者の減少という人口の年令構成だけでなく、図2にみるように我が国の森林、木材とて同じである。国土の森林面積に制限がある以上、伐採更新しない限り、循環資源として機能しない

伐採、すなわち木材利用は、保管される場所を都市に移動するという意味と、循環更新するという意味に置き代わるのである。決して無駄をしろということではない。

森林の更新がなされないあるいは困難な地域の森林保護問題と、国産人工造林木の伐採利用を同じように理解している人が少なくない。

そのためか、伐採をしないことを言い訳に木材を使わないことに正当性があるような主張がある。人工造林のように伐採されたところには再び森林が形成されるという世代交代や更新の重要性を訴える声のほうが遠慮がちという、奇妙なことが起こっている。

幸にしてエンドユーザーのなかで木材が嫌いという人はきわめて少ない。そして今や化学物質過敏症対策や居住空間として、自然素材は歓迎されている。身の周りで木材がつかえるところは実に多いのである。


プロフィール(ありまたかのり)

1942年鹿児島県出身。
65年東京大学農学部卒。
67年同大学院農学系研究科修士課程修了。

建設省建築研究所主任研究員、静岡大学農学部助教授、東京大学農学部助教授を経て96年から現職。

専門は、木材物理、木質構造学。
主な著書「木質構造読本」(共著、井上書院、1988)「木材の工学」(共著、文永堂、1991)「エコマテリアルとしての木材」(全日本建築士会、1994)

〔注:データは一部改定してあります。
   農林漁業金融公庫から、転載についての承諾を受けていますので、ご活用ください。〕
99/09/15               (社)全国木材組合連合会:企画部指導課 

 

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