〔文責:企画部指導課・細貝〕
「新春に想う 〜流通からみたロジスティクス〜」
(社)日本ロジスティクスシステム協会新春講演会
日 時 平成10年 1月 9日(金)15:00〜
場 所 経団連会館 14階 「経団連ホール」
講 師 潟}イカル 小林敏峯代表取締役会長
(日本ロジスティクスシステム協会 副会長)
概要
我が国の個人消費は260兆あるが、非物販部門のウエイトが6割と高くなり、その中で外食が24兆円、一般的な個人の小遣い、交際費等が30兆円ほどある。このようなものが新しいビジネス、ヤングのビジネス等を大きくしており、当社の関係では映画、スポーツ、レストラン等、時間消費型産業として展開して、その伸び率は好調である。
物販はしのぎをけずってやっているが125兆円しかなく、百貨店、チェンストア等厳しい状態に置かれている。これはどちらかというと生活の必需品を中心に販売しているが、必需品は定番であり、基本的な商品であるのでリスクは少ないと考えられている。メーカはリスクの小さいそのようなものを作り、我々販売もそのようなものを販売する。大店舗法も廃止となり、ますますこれから出店競争が激しくなってくる。
物販で扱っているのは同じようなものを同じような物流や問屋を通して販売している。従って、技術競争となると価格競争だけということになり、どんどんと価格破壊になったり、価格に対して色々な挑戦をすることになる。結果として日本の人口が増えているわけではないので全体的に数量が落ち込み、そこに出店競争があるので格差がついてくることになる。
問題は焦点がずれてくることであり、お客との対話をもっとしっかりとやって、自分たちのマーケッティングをもう一度見直してみること、あるいは業態を見直して見ること、あるいはマーチャンダイジング(科学的な手法による販売計画)のやり方を見直して見る 等が重要である。しかし、今までやってきた業態とかマーケッティングで物毎を進めて行こうとすることがお客からどんどん離れていってしまっている。
従って、ロジスティクス経営というか、「物流」「商流」「経営」という問題を後ろから見ていく、前からやるのはマーケッティングをやり業態を作ったり、マーチャンダイジングをやっていくことであるが、これからは後ろから物毎をみていかないと焦点がぴたっと合わないという状況になる。
例えばマーケッティングという問題は、個人消費の構成比が明らかに違ってくるが、問屋、代理店やメーカーの流通構造は相変わらず物中心であり、125兆円中心に構成されている。
問題は60%を占める165兆円の大きなマーケットの流通構造は、整備されていない。マーケッティングの問題は大店法は産業構造審議会で論議されたが、当社の展開では廃止した方がよい。大店法がなくてうまく行ったとうものは何もなく、逆に、16年間、欧米と比較してサービス面、マーチャンダイジング面で遅れてしまった。経済行為というものは自由競争が原則である。
大店法は廃止されるが、新たに大店立地法の制定と都市計画法の改正により、交通渋滞、騒音、廃棄物処理などの環境面から調整されることになり、調整の相手が地元住民になる(この部分聴き取り不十分につき別情報から推定調整)。その中で新しい競争をしていくことになる。
こういった場合でも一番大事な問題は、消費者(物を買う人)や生活者(地域住民としいてゴミや騒音問題を発言する場合等)という立場があるが、両者の主権が非常に大きくクローズアップされており、21世紀に残るためにはこの問題をはっきりさせていかなければならない。
今回の大店法の問題についても消費者主権ということをしっかり捉えて行く必要があり、一つは選択の自由というものがある。食事にしても日本では朝食にしても昼食にしてもいろいろなものを食べるが、米国では3つくらいの中から選択される。韓国では韓国料理ばかり、中国では中国料理を朝、昼、晩食べており、世界では選択の自由とか消費者・生活者の権利とは言ってはいる狭められている。日本は救いがあり、業者が努力をして選択の幅を広げようとしたが、バブルの崩壊以降、選択の自由が狭められてきたため、消費者の方から見た場合焦点のずれがあるのではないかと思われる。
二つ目は、意見を反映させる権利というものがあるが、意見は聞いてもあまり反映させているとはいえない。自分の企業の都合のよいようにお客の意見を聞いている。100%全部を反映していては大変なことになるが、意見を反映させるということは川上から川下に流すという考え方でなく、川下の海から海の水が逆流するように消費者や生活者の意見を聞いて反映させて行くこと、どのようなことをその企業がやっているかということが大衆の評価基準というものになっていくのではないかと思われる。あるいは、消費行動に対して、安全が守られているかどうかということの指標がもっとはっきりしてくるのではないか。安全の権利についてはPL法等が施行されているがまだまだ安全に関する保証が示唆されているわけではない。従って、消費者・生活者が自主管理していくということと、安全に対する権利をどのように守って行くかということが混在しながらこらから大きく出てくるのではないかと思われる。
消費者・生活者主権という問題は21世紀以降も大きな競争の哲学であり、それが政府や行政、経済の目標となってくるので、その辺をきちっとしていかないと売上が伸びても利益が出てこなくなるし、反動がでてくる。
金融問題等でも大衆の行動ははっきりしている。今までの大衆は行動を起こさなかったが、昨年の大衆の行動の範囲は幅広く、シビアな行動をとっており、それに政治や行政がついていったりしている。明らかに逆流している。その意味で生活者、消費者の主権に対する認識を新たにしてこの問題を解決していかなければ、景気はなかなかよくならないと思われる。
第3点は消費構造が現在、ライフスタイル型に変ってきていることで、先程の物販と非物販は分類上は分けていても消費構造では一対になっている。従って、消費者は横で買っており(一つのライフスタイルというカテゴリーの中で)、結果は単品である。その単品は一つでは機能せず、一つのライフスタイルを構成するパーツとして考える必要がある。メーカに単品を作っているのか、パーツを作っているのか聞くことがあるが、アパレルメーカはパーツを作っているところが多いが、他の製造メーカーでは単品を作っているところがまだまだ多い。しかし、消費構造はライフスタイル型になっている。
例えば、住まい方、暮し方という場合、若い人(ハイティーン、ヤング)たちの部屋はフローリングが多く、団塊の世代は絨毯、50〜60代以上は畳になる。そうすると一つの家の中の住まい方、暮し方にも世代的に3種類あることになる。それに対して、フローリングの部屋で暮す人たちに家具とか家電製品、照明器具、絨毯、各種アクセサリーはライフスタイルという形で作っているかというとそうではない。
熟年マーケットは非常に大きいといわれているが、大きいマーケットに対して、既にやっていることは、寝たきり老人の看護用品とかのマーケットリサーチになってしまう。しかし、年寄は沢山(元気な人も沢山いるということの意味)いるわけで、畳の生活の暮し方から見るといくらでもほしいものがあるが、それを供給しているメーカーはない。
メーカーは単品を作らせたら天下一品の品質で全てがコンピュータ化されているが、顧客が単品を買っているのかパーツを買っているのかという質問をすると答えがない。ここに日本の流通構造に大変な問題点を抱えており、メーカーは縦で、例えば、婦人服を作っているところは上から下まで全部婦人服で、物の運ぶ方法まで全て一緒である。
しかし、顧客はライフスタイルで買っているので、婦人服のジャケットはパーツに過ぎなく、黄色のジャケットを買った場合、それに対してバック、靴、靴下、帽子、マフラーはどうなっているか、全部メーカーはバラバラであり、単品である。その代わりマフラーを作らせたら天下一品とかのメーカーは多い。尊敬しているが歯がゆいものを感じる。何故、ライフスタイルで作らないのか、その中のパーツであれば企画を共同化したり、編集するものの企画をどこでやるのか、問屋にしてもそうである。そこが海外のメーカーが付けねらう隙間である。SPAといいながら海外の製造メーカーは小売まで一貫して展開するため、現地法人を設立している。これはライフスタイルででてきているので、日本のメーカーや小売は太刀打ちできない。このようなことから、ここ数年間はSPAとか海外のメーカーがどんどん成長し、国内の方は一向によくない。今後、海外のメーカーがどんどんとでてくると、国内の小売、問屋、メーカーも触発され刺激を受けて、奮発すればよくなっり、素晴らしい流通構造ができてくるのではないかと思われる。海外のメーカーと世界競争するのであれば、日本のマーケットにおいて、消費者主権ということをしっかり持たないとものが見えてこないことになる。
2番目に日本の個人消費は物から、非物販、時間消費型のマーケットが大きくなってきていることで、それは何故かというとライフスタイル型になってきていること、従って、生活必需品を創業以来作ってきたところは買い替え需要が出るのを待ちながらやっているメーカーもあるが、そのようなことをやっていては価格競争しかなくなる。ライフスタイルでマーケットを見れば、新製品や新しいマーケットを開発できる。そこに商品の焦点を合わせることが出来る。そうでないと今のままではライフスタイル型になるので買い替え需要をまっていなければならなくなる。しかし、既に、家の中にいっぱいあり、海外需要といってもそんなに大きなマーケットがでてくるわけではなく、日本の個人マーケットがよくなるということが推定できない。日本の個人マーケットが大きくなって行くためには、明らかに生活必需品というものも大切であるが、生活を向上させるとか生活の中にもっと個性化できるものが求められているのであるから、それに焦点を当てるとか、特に、日本は個人消費の中の三分の一を占める食のマーケット(84兆円)では、日本人はいろいろなものを食べている。
日本が世界に誇れるのは、世界一の長寿国であり、60歳位の人でも40歳位にしか見えないなど若々しく、美しいというようなことが多くあるが、食べ物がよいということもあり、知的レベルも高い。
ロジスティクス経営という視点で、この協会(ロジスティクスシステム協会)で対応すべきは、第1に、港にある。物を運ぶのに船で運ばないのか、難しい問題はいろいろとあることは分かるが、船はもっと早くすることができるし、それにトラックを10台とか20台を乗せて横持ちをすれば、Co2やコストの問題等が解決する。もっと船という問題を考えなければならないのではないか。
第2点は、通い箱というものがいろいろと開発されたが、海外の産地や工場からどういうように店までの通い箱にするのかという物差しが大切である。これをやらないと見えないものがあり、元々在庫はゼロであるべきで、メーカーの生産データがあれば、在庫は不要になり、生産計画とおり店に到達するということが通い箱の原点であると思われる。
第3点は通い箱そのもので、何故、陳列器具にならないかということである。例えば、卵は産地でパック化され、それを積み上げて運ばれ、売り場に入ってくる。通い箱まできたのであれば、それを陳列ケースとしないのか。その辺は、陳列器具そのものでは食欲が落ちるとかの可能性があることは分かるが、通い箱で止まっているのではなく、陳列器具そのものの素材、デザインを物を作っている企業が研究しないのか。当社はタイムワナーと映画をやっているが、いろいろなキャラクターがある。このキャラクターを陳列器具にして持ってきた方が子供たちは喜ぶのではないか。創意工夫はいろいろとある。
第4点は、何故、パッケージをもっと研究しないのか。包装業界の方と話すと皆素晴らしい技術を持っている。カナダから生きたものを45日間で運んできたりする。冷凍物や加工物はよいが、日本人はなま物が好きで、なま物のパッケージをどうするかということがある。それぞれのメーカーに聞くとよいものがいろいろある。極秘かもしれないがもっと我々に話をしてくれればパッケージの改善が出来る。コンテナはガツガツしたおかしなデザインで、風船のような大きさが自由になるようなものを考えないのか。ロジスティクス協会として、パッケージ革命を起こさないといけないのではないか。
最後の5番目の問題は中継基地の問題であり、日本のセンターは量販店、メーカー等がもっているが、もう一歩進めなければならないのではないか。海外等からいろいろなものを持ってくるということになると中継基地をどのようにするかということがある、これをロジスティクス経営で後ろから見ることが大切である。前から見るとマーケティングでここに商圏人口10万人とかをいまだに言っている。そこには10年前に奥さんは外さんで家の中には誰もいないし、子供もいない。誰もいないのに一世帯に3人とかの計算をしてここは人口何人とかでは問題である。日本のお客はそんな生易しいものではなく、どんどん移動している。昼間人口、移動人口というマーケティングは必要であるがまだ夜間人口だけを計算している。コンビニエンスストアが良いのは、家に帰った後の夜間人口を計算しているからまだよい。しかし、大型店は20時で終わるので夜間人口は無い。移動人口、昼間人口を考える必要があり、マーケッティングも変ってきている。
メーカの商品もライフスタイル型にすればたちどころにいろいろな問題が解決する。日本のお客に対して、日本の我々が独創的オリジナルな業態を作っていかなければならない。欧米を見て回っても世界競争なので、自らのお客に対して自らの独創性やオリジナル性を持って作っていかなければらない。それには日本のメーカー、問屋、商社、いいろいろな方たちと組んでいかないとならない。今は海洋民族型になっている。1万年前は狩猟民族であったが、それが農耕民族となって生産性を上げることが上手になり、さらに工業民族として生産を上げてきた。これが大きく曲がり角にきている。もう一度、海洋民族となって海からみれば面白いものが見えてくるかもしれない。今はいろいろと分散化したりしているが、なんでもかんでも1本にしてどこにでも売るということでは、結果としては皆安売りをしている。どこどこ産でオリジナルという方法でやれば、ライフスタイル型の個人マーケットに合うようになるのではないか。海洋民族型の雄大な気持ちで展開すればますます伸びるのではないか。
最近は不景気な話ばかりなので思いっきり景気のよい話をした。
〔企画部指導課コメント〕
導入部分を聞いていないこと、一部聴き取りが出来なかったこと、数字の確認を取っていないこと 等取りまとめ不十分な面があるが、マーケットが違っても競争の厳しさや「もの」では価格競争しかないこと、ものを「意味」としてとらえ、他にない「意味」を持たすことができれば新しい方向が見えてくることを感じる。
住宅でもかなり前から「ライフスタイル」がいわれているが、実際の住まいはそれとは程遠いのが現実である。欧州ではライフスタイルに合わせた住宅の「自由可変」=新築当初から、部屋を仕切ったりできる間仕切り等が庭の片隅の専用倉庫に設置され、子供が増えたり、成長に伴い、簡単に変化させることができる住宅が現実にあるが、では現時点でその概念を日本に持ってきても住まい手に受け入れられないという現実がある(政府では既にこの概念を施策の一つに入れてはいるが、商売ベースにはなっていない→しかし、新しいコンセプトで特定の顧客に提案型の商品として説得していけば、隙間マーケットとしてリーディングを握れる可能性はあるし、リフォーム・メンテナンス分野の開拓と新たな需要創設=子供が成長し、住宅を持つ際のリーディング・アドバイザーとして、強い影響力を持つことも可能。勿論、きめの細かい対応は前提になるが)。
また、大店法は調整の主体が地域の商店街であったが、新たな規制は、環境や地域住民が主体になることを考えると、行政側の姿勢も大きく方向転換していることが伺える。