グラフは、1992年以降の日経平均株価の動きであるが、90年代に株価が急落したのは4度ある。その時の政権はどのような対応したか見てみると、92年の宮沢政権10.7兆円の景気対策(当時史上最大の景気対策)、94年2月の細川政権、15.2兆円の景気対策(史上最高を更新)、95年9月の村山政権、14兆円の景気対策と公定歩合の引き下げという財政・金融政策総動員、98年11月の小渕政権、23.9兆円の景気対策(史上最大)を打った。つまり、時の政権は、株価急落のときに本格的な景気てこ入れ策をしてしのいだ。この結果何が起こっているかというと、株価の猛烈な反発が乗じている。1度目が7千円、2度目が5千円、3度目と4度目が8千円という株価上昇が生じている。
危機にしっかりした景気てこ入れ策を打つと株価が猛反発して景気がよくなる。とことが、その株価が挫折する。4度ともそうである。97年〜98年にかけて1万円の暴落、2000年〜2003年にかけて13000円の大暴落となった。
何故そうなったかというと、一般的に聞かれる説明は、
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90年代に何度も大型経済対策を発動した。 |
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大型景気対策は短期的には株価上昇、景気改善の効果をあげた。 |
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しかし、問題は効果が持続しなかったことだ。時間が経過すると、株価は反落、景気も不況に逆戻りした。 |
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むしろ副作用が大きかった。政府債務は急増し、必要の無い公共工事が全国に蔓延した。 |
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目先の景気回復を追うのではなく「改革」が必要である。 |
「今の痛みに耐え、より良い明日を目指す」『米百俵』の精神が大切。ということでもっともらしい。
しかし、事実に反しているところがある。×印のところであるが、上がっていった株価が何故下落に転じたのかを調べてみると結論が変わってくる。
93年、21,000円まで株価が上がったものが反落した最大の理由は、記録的冷夏があり、夏寒いと夏の商品が激減する。この年はお米が不足し、緊急輸入した。景気が悪くなった。それ以外に細川政権ができるが政策が半年空白があった。クリントン政権が発足して円高が進展した。さらに、ゼネコン疑惑が重なり、公共事業が停滞した。全て重なって、株価が急落した。
94年のケースは、株価が21,000円まで上昇したが、この時失敗したのは日銀の時期尚早の利上げ動きを本格化した。この時の日銀の利上げ行使に明確に反対したのは、私と上智大学の岩崎教授だけだった。
結局、利上げの動きを背景に株価が2万円を割り、そこに追い討ちをかけたのが95年1月17日の「阪神・淡路大震災」、3月20日の「地下鉄サリン事件」、1ドル80円突破の「円高」が重なり、株価が14,485円に急落している。
三度目のケースは、96年に株価が22,666円に順調に伸びた。ここに橋本総理が登場し、構造改革の看板を掲げた。橋本政権が、6月25日に消費税2%引き上げの方針を閣議で決定し、株価は26日から下落を始め、2年3ヶ月で1万円の暴落となった。これが13兆円のブレーキ(デフレ策:消費税5兆円、
所得税2兆円、医療費2兆円、公共投資減4兆円))を踏み込んだ結果である。
そして、小渕政権の時代に入って、その政策により株価は2万円を突破し、2000年の経済成長率2.8%と見事に回復した。残念ながら2000年の4月アクシデントがあり、小渕総理が脳梗塞で倒れた。倒れた瞬間から、過去20年間で最強の緊縮財政が始まった。
そして日銀は、デフレなのに金利を上げるということで、速水総裁が4月12日に金利引き上げ方針を公式に表明した。その日を境に株価が下落に転じ、3年間で1万3千円の大暴落となった。
つまり、景気対策を打つと利き、株が上がり、景気がよくなる。ところが、やっと軌道に乗ったところで、96年のように政策が行き過ぎた逆噴射のブレーキを踏み込みすぎると折角浮上した景気が悪化する。財政赤字が大きいということは事実であるが、先を急ぎすぎ、逆噴射レバーに問題があるというのが歴史の真相ということになる。