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全国木材産業政治連盟時局大講演会
「日本経済の現状と展望」〔講演概要全文〕


   

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6.日本経済15年の軌跡

日本のGDP統計は、経済成長率を表示したものであるが、グラフの赤色が経済成長率のグラフで、87年〜90年の4年間の年平均の日本の経済成長率は5.4%(バブル景気)であった。これが、92年〜95年はガクット下がり、平均値で1.0%(バブル崩壊不況)である。このように非常に大きな景気の振幅があった。

この振幅を作った最大の理由は、民間設備投資である。バブルの頃は日本中で設備投資が大ブームとなった。機械を設備するというよりも不動産・リゾート投資であった。豪華絢爛なクラブハウスなどが象徴的である。

ところが、90年代に入り、バルブ崩壊とともに設備等投資が激減した。これで4年の好況と4年の不況が作られた。重要なのは95年で、グラフの数字がプラスのところに集まってきた。つまり、バルブ崩壊に伴ういろいろな調整が95年に終了した。当時の経済白書を見るとバブル崩壊不況、バブル崩壊に伴う調整がほぼ完了したことが記されている。

96年には3.4%の経済成長を実現している。それも個人消費や設備投資が主役で理想の景気回復であった。それを写して、株価は22,000円まで上がった。この流れを大切にしていればよかったのであるが、橋本政権が登場し、財政赤字を減らさなければならないということで、13兆円の強烈なブレーキを踏んだ。強烈過ぎて、経済成長はマイナス2%、株価は12,000円まで下落し、拓銀、山一證券、長銀、日債銀が爆発した。

その結果、橋本総理が辞任し、小渕総理が誕生した。景気対策を優先し、堺屋大臣をブレーンとして起用した。その結果、日本の成長率は98年から2000年にかけてうなぎのぼりに上昇し、マイナスから2.8%に、株価も2万円を突破し、日本経済を危機のふちから救い出し見事に浮上させた。残念ながら2000年の春に倒れてしまった。

2000年から2003年は、橋本政権以上の緊縮財政をやった結果、株価の暴落、不況となった。グラフを見ると、80年代後半がバブル景気、90年前半がバブル崩壊不況、96年以降の不況は2度あり、これは政策不況である。

 

 

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